大学生へのメッセージ

皆さん、おはようございます。この授業は、総合政策系専門科目の一つである「金融経済論」です。私は、昨年度(二○○一年度)一年間、国外で研究に専念する機会を与えられていたため、英国、米国、それにオーストラリアの三か国に滞在し、その目的に沿った研究生活を送りました。 本日、こうしてSFCの学生諸君を前にして教壇に立つのは一年ぶりのことであり、新学期の希望に満ちた表情の諸君に再び接することをとてもうれしく思います。


五分間のメッセージ

この授業の概要や単位取得の条件等は間もなく説明しますが、今年度は従来と多少趣向を変え、毎回の授業の冒頭の五分間を、この授業の内容自体とは直接関係ない私から諸君へのメッセージの時間として設けることにしたい。授業開始を通常よりも五分間早めることによってこれに対応するので、本来の授業時間を犠牲にすることはありません(このメッセージを聞きたくない諸君は通常の時間に着席してください)。

メッセージ、あるいは箴言(しんげん)は、毎回一つ述べることとしたい。そのメッセージは、社会全体がうまくゆくために人間一人一人に最低限求められること(倫理といってもよい)、有意義な学生時代ないし人生を送るために大切な生活態度、あるいは個人として精神的に安定した生き方をするうえでのヒント(自分自身に静かに言いきかせるべき言葉)などが中心です。これらは、これまで私が研究プロジェクト(従来の研究会が名称変更されたもの。ゼミ)やオフィスアワーなど色々な機会において学生諸君に話してきたことでもありますが、この際、ある程度まとめたかたちで諸君に贈りたいと考えた次第です。

それらの中には、よく知られた格言も一部含まれています。しかし、大半は私がこれまで三〇年余りの間、組織の中で働き、あるいは大学教員としての任務(それには国内だけでなく海外での相当長い経験も含む)を果たす中で、先輩や周囲の同僚達から教えられたこと、あるいは色々な機会に自分で勉強して自らのものとして自分の中に定着させたこと、などを私なりに簡潔なことばで要約したものから成っています。だから、その内容のほとんどは、私自身が見いだしたものというよりも、むしろ古今東西の人類の知恵を反映したものといった方が、より正確です。ただ、それらはすべて、生き方の信条とするに値すると私自身考えており、私も実践する努力をしていることがらです。また、SFC同僚教員の方々とこれらの内容について話をする場合、私が主張することがらに同感することが多い、といって下さる方が幸いにもかなりいらっしゃいます。だから、これらのメッセージは、人の年齢や特定の時代を越えた高い普遍性(universal significance)を持つものである、と私は考えています。

それらをなるべく分かりやすく、そして具体的にお話したい。このため、私自身の反省や失敗もあえて俎上に載せることにします。そして、メッセージは、批判的・否定的な視点から述べるのではなく、できるだけ積極的・発展的な視点から述べることとしたい。

 なお、授業を毎回ユニークな方法で開始するということは、私がSFCで初めてではありません。例えば、SFC運営面で私と時間を共にすることの多かった金安(岩男)教授は、ご担当の「都市システム論」において毎回、俳句を一つ黒板に書いて紹介し、その内容をもとにしてその日の授業を展開してゆく、という興味ある講義方法をとっておられます。だから、この形式自体の「著作権」は金安先生にあるというべきでしょう。ただ、今回の私の試みは、授業の内容に関係させるというよりもそれを越えたより大きなメッセージを対象としている点で新規性がある、ということになるでしょうか。

(一)時---全てのことには時がある

さて、第一回目である本日のメッセージは「全てのことには時がある」ということです。「この世の中のすべての活動には、最もふさわしい時期(season)があり、すべてのことには時(time)がある。生まれるべき時があり、死ぬべき時がある。植えるべき時があり、果実収穫の時がある。泣くべき時があり、笑うべき時がある」といにしえのある書物に記されています。さらに続けて「探すべき時があり、あきらめるべき時がある。手元に取っておくべき時があり、捨てるべき時がある。破り捨てるべき時があり、元通りに修復すべき時がある。沈黙を守るべき時があり、口に出して言うべき時がある」と。

何と見事な対句的表現でしょうか。またそれらは、何という重大な真実を含むことでしょうか。今日、この教室で皆さんにお会いするのは、皆さんにとっても私にとっても、人生の中で一つの新しいできごとの始まりです。そうした新しいことは、それに出会う度にしっかりと受け止め、楽しく、そして有意義なものにしていくことが大切です。なぜなら、そうしたことも、いずれの日か必ず終わりがあるからです。ものごとには、始まるときがあり、終わるときがある。これが、私のいいたいことの第一点です。

いいたいことのもう一つの点は、これらのなかで特に「沈黙を守るべき時があれば、口に出さなくてはならない時もある」ことです。「沈黙は金(きん)」という諺があります。これは、沈黙は金のように値うちがあるという意味です。確かに、それが妥当する場面が多くあります。例えば、議論をしている場合、色々な事実を人よりも多く知っているとしても、それを口に出して言い出したところで参加者の認識やそこでの議論に何ら貢献しないような場合には、言い出して知ったかぶりをするよりも、むしろ沈黙しておくべきでしょう。また、人に依頼して何かをやってもらうような場合には、途中で頻繁に口出しすれば混乱を招きかねないうえ、依頼を受けた人が創意工夫して取り組もうという気持ちを妨げることにもなりかねません。だから、依頼した作業に一応の区切りがつくまでは、黙って任せておく方が望ましいといえます。

一方、沈黙を守るよりも、むしろはっきりと口に出して言う必要がある場合が少なくありません。むしろ、勇気をだしてそうすべき時、あるいはそうしなければならない時があります。そのような場合があること自体を知っておくことがたいへん重要です。例えば、不正がなされ、公正や正義が損なわれるような時には、勇気の要ることですが、思い切って言いだすことが重要です。そのような時に沈黙していたのでは、暗黙のうちに事態を支持することになります。

 私自身、SFCではこれまでキャンパス運営委員会をはじめ一〇を越える各種の委員会のメンバーに任命されてきたので、そこにおいて色々な案件を議論し、判断を加え、そして決定するという仕事の末席に連なっておりました。これらの会議における私の貢献がもしあるとするならば、私は会議で議論をする際、時には勇気を出して発言することをいとわなかったことから、各種の決定事項が多少ともより妥当な方向に仕向けられることになった点であろう、と自分では思っています。

 沈黙を守るべき時があれば、口に出さなくてはならない時もある。

本日のメッセージは以上です。では、今から今学期のこの授業の内容説明と本日の授業に入ります。

(「金融経済論」講義より、二〇〇二年四月八日)





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