SFCの先進性とインテグリティ

総合政策学部 岡部光明 

SFCは日本における大学改革の実験場である。その先進性においては他の追従を許さない、とわれわれは自負している。先端的分野の研究、革新を続ける教育方式(いわゆるSFCバージョン2.0への移行)、二つの学部の継ぎ目のないつながり方など、多くの斬新な試みを挙げることができよう。ただ、これらの中にはなお未完成の部分もあるので、今後さらに磨きをかけていき、国際的にもユニークなキャンパスとして一層注目されるようにしてゆきたいものだ。

 一方、国際基準という点からみると、ややもの足りないと筆者が思う点が一つある。それは、日本国内ではまだ必ずしも重視されていないことであるが、今後SFCを国際標準に合致させるうえで、キャンパス運営において不可欠となる一つの思想である。つまり「組織のインテグリティ」(organizational integrity)という考え方だ。筆者は、たまたま昨年度一年間、在外研究の機会が与えられ海外の三大学に滞在する機会を得たので、とくにその感を強くした。SFCをこの面でも国際的に遜色のないキャンパスにしていくため、あえて以下の議論を提起してみたい。

 インテグリティの概念とそれを重視する理由
「インテグリティ」とは、日本語では、高潔、誠実、正直、あるいは完全性などの訳語が当てられている。しかし、英語でいうインテグリティには、筆者が勉強した限りでは、このような個人に関する倫理的特質に傾斜した意味合いよりも、むしろより広く一般性を持つ意味で使われることが多いようである。すなわち、個人についてのインテグリティとは、一方で言葉にうそ偽りのないこと(正直さ)、つまり「言葉を事実に一致させること」、そして他方では、それとは逆に言葉で述べる通りの行動ができること、つまり「事実を言葉に一致させること」である。つまり、インテグリティとは、事実と言葉の関係が、どちらからみても一体化、完全化していることである。

 このような意味でのインテグリティには、個人に関するものだけでなく、職業上のインテグリティ(academic integrity などのprofessional integrity)、そして組織のインテグリティなどがある。いずれの場合でも、インテグリティを行動の基準とすれば、言い訳をする必要性ないしその不安が小さくなる。また、訴訟沙汰に巻き込まれたり、外部からの規制を受けることも少なくなる。そうした結果、個人ないし組織に対する信頼が高まる一方、自立性も高まる。そうした状況の下では、個人の場合も組織の場合も、より良い判断と意志決定ができるようになり、潜在能力が最大限に発揮することができるようになると考えられる。大学は一つの社会的存在であるので、そうなれば社会全体にとって望ましいことである。主要国では、企業をはじめ大学など社会的組織のインテグリティが重視されるのは、このためとされている。

 SFCのインテグリティ
SFCは、組織としてどの程度インテグリティを保持しているといえるであろうか。この点に関しては、国内の他大学と比べた場合には大いに進んでいるといえると思う。研究および教育において新分野ないし新手法を開拓することを設立当初から標榜する一方、そうしたコミットメントを一貫して実行してきているからだ。また、教育環境において発生する可能性のあるハラスメントの防止とその対応に関しても、SFCはその専門委員会を慶應義塾内の他キャンパスや他大学に先駆けて設置する一方、問題が発生した場合には公正かつ責任ある対応をとるなど、教育にふさわしい環境を維持すべく多大の努力をしてきている。さらに、外部からの研究資金受入れやその支出に関しても、関連する内部規則を比較的早い段階で設定し、その後次第にその内容を充実させてきている。

 SFCがこのように誠実さ、一貫性、公正、責任などを組織として追及してきていることは、個人に関してインテグリティをいう場合と同様、とても望ましいことだ。一方、組織のインテグリティの場合は、個人のインテグリティの場合にはない重要な側面がある。それは、個人の場合には一人の人間の内部で対応されるのでさして問題にはならないが、組織の場合にはそうでないことがら、すなわち判断、伝達、記憶、公開などについて組織として適切な構造を保持している必要がある点だ。つまり、組織のインテグリティにとっては、問題への対処や意思決定にとって適切な組織構造となっていること、そして対内面および対外面の双方で優れたコミュニケーションのシステムが整っていること、が不可欠の要件になるといえる。

 幾つかの課題
こうした意味での「良い組織」という観点からみると、SFCにはなお改善の余地がある点もあるように思う。例えば、対外面をいうまえに、まず対内面での課題があろう。つまり、SFCとしての意志決定過程の透明性や効率性を一層向上させるとともに、キャンパス運営委員会のアカウンタビリティもさらに高めうるのではないか。

より具体的には、議事録についていま少し詳細なものをキャンパス内部には開示するとか、それをより迅速にキャンパス・ネットワーク上で開示するとかに関して再度検討すべきではないか。また、運営委員以外の一般教員による問題提起とそれが処理されるチャネルは、現在のところ明確化、制度化されてはいない。これに対しては、そうした意見受付の窓口(例えば総務担当運営委員)を定め、そうした事項の振分けないし対応(専門委員会に検討を回付するなど)が分かるような仕組みを導入するのがよいのではないか。

さらに、SFCは、組織としての記憶(institutional memory)を適切に伝達してゆくメカニズムが多くの面で不十分であるように思われる。このため、多くの委員会やワーキンググループの作業においても、そのたびに一からスタートするといった非効率な場合が少なくない。決定事項や将来計画は責任者ないし事務局によってきちんと記録され、次の責任者に引き継がれるようにすること、そして過去の記録に容易にアクセスできるようにすること、などが一貫性維持と効率性向上の観点から大いに必要だと思う。

 一方、対外面では、各種のSFCのPR資料に関する限り、さすがにSFC内部の専門家のアイデアが反映され、見事なものが多く、それらは誇りにできよう。ただ、IT時代にはカギを握るインターネット上のSFCホームページは、どうしたことか時流に従ったものとなっているとは言い難いように筆者には思われる。関連情報の幅広い公開、わかりやすい提供、そして審美眼にも耐えうる魅力的な提示、などを目標にして早急に改善すべきだと思う。

 海外の大学におけるインテグリティ重視
海外の大学(特に国際性を標榜する大学)では、インテグリティという言葉や考え方をわれわれが想像する以上に重視しているように思われる。例えば、筆者が今年初めに滞在したオーストラリア国立大学がその一例である。その大学案内書の冒頭部分には、大学が運営指針としている価値基準がいくつか列挙されている。それらとして卓越性(Excellence)、創造性(Creativity)がまず挙げられ、その次に誠実性(Integrity)が掲げられている。前二者はいわば当然のことがらであろうが、インテグリティが第三番目になっているのはきわめて印象的である。つまり、インテグリティは、それに続いて挙げられている学問の自由と責任、公平性、人間の多様性の認識、などよりも高い優先順位が与えられているわけだ。

もう一つの例は、筆者が昨年秋学期に滞在した米国ミネソタ大学のケースである。そこでは、学期初めに大学の総長から一つの電子メール(教職員全員にあてたもの)が届いた。そのメールは、大学から金銭の支払いを受けている者(教職員など)および大学の施設を利用している者全員に対して、新学年度初めに毎年総長より発信されるものであり、筆者は同大学に招聘されて滞在費および研究費を支給されていたのでそれを受信したわけである。そのメールでは、同大学は最高水準の職業行動基準の達成にコミットしているので、関係者は全員最高度のインテグリティを満たすように行動することを期待する旨が述べられており、それに続いて職業上の行動基準(code of conduct。六年前に制定)の全文が掲載されていた。その全文は、インターネット上でもみられる(http://www1.umn.edu/regents/policies/academic/Conduct.html)ほか、新年度最初の月の給与明細通知票の封筒の中にもその写しが同封されることになっている。

その内容は、組織のインテグリティを扱ったものではなく、むしろ組織を構成する教職員個人のインテグリティに関して注意を喚起したものである。すなわち、公正さ(fairness)の維持(学生等を公平に扱う義務を負うこと)、職業にふさわしい行動(professsinal conduct)をすること(学生に対してだけでなく同僚教職員に対しても誠実に義務を果たすこと)、著作権への留意(得られた学問的成果や芸術的作品はすべて自ら創造したものであることを保証するか、あるいは参考にした他人の着想がある場合にはその旨を表示する義務があること)、資金収支に関する責任(教職員は大学に代わって研究費ないし寄付を受けてはならず、また使用使途に沿って資金を支出しなければならないこと)、などである。これらの多くは、いわずもがなのことかも知れない。しかし、われわれは、これらの点の重要性について認識を深める必要があろう(そうすれば時折SFCでも発生する幾つかの問題も回避できる)と、筆者は自戒の念を込めて思う次第である。

SFCのモットーは、たえず前進することにあるともいえる。従って、上述したような「より良い組織」にするためのことがらは、時間的な制約から従来は手が回らなかったことかもしれない。しかし、われわれは個人のインテグリティを高めるとともに、SFCという組織のインテグリティ向上の必要性をいま一度認識し、それにふさわしい対応をすべき段階にきていると思う。

                              以 上

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